常磐線不通区間の富岡から浪江へ
常磐線は富岡、浪江間が原発事故以来、現在も不通。上野からの電車を乗り継いで来た富岡駅前には列車代行バスが待っていた。

大熊町に入ると続く双葉町と共に帰宅困難区域で立入り禁止。放射線量踏まえバスの窓を開けないよう注意があった。道路際の家は柵で入口を塞ぎ、周囲は草が生えっ放し。沿道のコンビニ、外食、ガソリンスタンドなど2011年から放置されたまま。海側には原発の廃炉に向けた工事のクレーンが幾つも見えた。

浪江町に入ると柵は解かれていたが、人の様子は殆ど無かった。そして駅前で30分乗ったバスを降りた。

町の大部分は今も避難準備区域で居住出来ない。駅前の線量計は0.23シーベルトと表示。

駅の海側は除染が進み、昨年避難指示は解除。15分程浪江町役場まで歩いた。日曜昼だったが誰にもすれ違わない。信号は作動中だが、住んでいる気配も殆ど無く、真新しい郵便局の向かいなど解体家屋のラベル付きの建物や壊れたままの建物が目に付く。

町役場前にはおかえりなさいの文字。

隣の商店街マルシェには人が集まっていた。全国B級グルメグランプリのなみえ焼そばなど食の店は1軒除き日曜定休。開いていた店でサラダうどんにありついた。

土産の焼きそばを積んだ店などが開き、住民の限られたたまり場。

周囲のヨークベニマルなどは閉ざされていたが、それでも隣には新たな住居棟、学校が開設済。浪江駅に貼られた子供達のメッセージは希望の光。

原発の事故がもたらした地域の崩壊は未だに根深い事を実感した。

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大熊町に入ると続く双葉町と共に帰宅困難区域で立入り禁止。放射線量踏まえバスの窓を開けないよう注意があった。道路際の家は柵で入口を塞ぎ、周囲は草が生えっ放し。沿道のコンビニ、外食、ガソリンスタンドなど2011年から放置されたまま。海側には原発の廃炉に向けた工事のクレーンが幾つも見えた。


浪江町に入ると柵は解かれていたが、人の様子は殆ど無かった。そして駅前で30分乗ったバスを降りた。

町の大部分は今も避難準備区域で居住出来ない。駅前の線量計は0.23シーベルトと表示。

駅の海側は除染が進み、昨年避難指示は解除。15分程浪江町役場まで歩いた。日曜昼だったが誰にもすれ違わない。信号は作動中だが、住んでいる気配も殆ど無く、真新しい郵便局の向かいなど解体家屋のラベル付きの建物や壊れたままの建物が目に付く。


町役場前にはおかえりなさいの文字。

隣の商店街マルシェには人が集まっていた。全国B級グルメグランプリのなみえ焼そばなど食の店は1軒除き日曜定休。開いていた店でサラダうどんにありついた。

土産の焼きそばを積んだ店などが開き、住民の限られたたまり場。


周囲のヨークベニマルなどは閉ざされていたが、それでも隣には新たな住居棟、学校が開設済。浪江駅に貼られた子供達のメッセージは希望の光。

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