川崎市川崎区の過去現在未来
川崎市の人口は150万人に迫る。郊外の発展で増加してきたが、やはり最大のイメージは工業都市。写真の小島新田付近は対岸の羽田空港も近く、先端技術関連の施設も増えている。

その玄関口は川崎駅東口。西口との自由連絡通路も増設中。

JR駅の東側は川崎区。川崎市が誕生したのは関東大震災直後だが、区制が敷かれたのは100万都市になった後の1972年。駅からは市役所通りが東京湾方向に延びる。

広めの自転車道が歩道と分離されている。

やがて国道との交差点、宮前。京急大師線が地下化すると港町駅からここの新駅を通って川崎駅に繋がる計画。歩道橋から東京側を眺めると左に稲毛神社が構える。振り返ると歩いてきた川崎駅方面。

その辺りに川崎市役所があるが、区が出来て区民窓口となった区役所は向かいで小さ目。

市や区が出来る前、江戸時代の川崎は東海道の宿場。その様子は旧東海道にあるかわさき宿交流館で学ぶことが出来る。

館内では1月は昭和の川崎も紹介。

消えた昭和の市電やトロリーの写真が懐かしい。

道を挟んで近くに砂子の里資料館がある。無料で貴重な浮世絵を公開し、新春は菱川師宣の作品などが所狭しと並んでいた。

東京区、横浜区はないが、川崎区には川崎の中心が固まっていた。

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その玄関口は川崎駅東口。西口との自由連絡通路も増設中。


JR駅の東側は川崎区。川崎市が誕生したのは関東大震災直後だが、区制が敷かれたのは100万都市になった後の1972年。駅からは市役所通りが東京湾方向に延びる。

広めの自転車道が歩道と分離されている。

やがて国道との交差点、宮前。京急大師線が地下化すると港町駅からここの新駅を通って川崎駅に繋がる計画。歩道橋から東京側を眺めると左に稲毛神社が構える。振り返ると歩いてきた川崎駅方面。


その辺りに川崎市役所があるが、区が出来て区民窓口となった区役所は向かいで小さ目。


市や区が出来る前、江戸時代の川崎は東海道の宿場。その様子は旧東海道にあるかわさき宿交流館で学ぶことが出来る。


館内では1月は昭和の川崎も紹介。

消えた昭和の市電やトロリーの写真が懐かしい。


道を挟んで近くに砂子の里資料館がある。無料で貴重な浮世絵を公開し、新春は菱川師宣の作品などが所狭しと並んでいた。

東京区、横浜区はないが、川崎区には川崎の中心が固まっていた。

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