ベルリンの壁崩壊の20年前頃を思い出す
ベルリンの壁崩壊から20年目が今日11月9日。20年前の1989年ついに1961年からベルリンを東西に分断していた壁が倒される。国境ゲートを超えて西に行きたいと言う群衆のエネルギーを前に、東ドイツの警備員は止める事をやめ、11月9日、遂に東西を双方の市民が移動できる日が再開された。
私はその翌年1990年夏、ちょうどワールドカップ開幕戦をイタリア、ミラノで観戦し、その後にベルリンに向かった。但し外国人の為か、東ベルリンに行くには、ブランデンブルグ門も通れず、まだ検問所経由で東ベルリン入り。その先は旧式の自動車、トラバンドがあふれていた。そしてマルクスエンゲルスの名のついた通りや彼らの彫像が目に付いた。
89年に崩れた壁は既に一部は取り外され、東にはあのトラバンド。その時撮った写真がこれ。

その4ヵ月後にドイツは統一。その後、東欧各国も民主化。ベルリンはドイツの首都に。東ドイツ出身のドイツの首相も誕生。
変貌ぶりは大きい。しかし壁を越えようとして命を落とした人々を忘れる事はできない。どれだけ東に自由がなかったか。自由に行きたい地域に行ける今の人とは東の状況は大きく異なっていた。
きょうの記念の日、ブランデンブルグ門に、ベルリンにゆかりの国のリーダーも集まり、ベルリンの壁崩壊がもたらした民主化ドミノにちなむドミノ倒しが予定されている。

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私はその翌年1990年夏、ちょうどワールドカップ開幕戦をイタリア、ミラノで観戦し、その後にベルリンに向かった。但し外国人の為か、東ベルリンに行くには、ブランデンブルグ門も通れず、まだ検問所経由で東ベルリン入り。その先は旧式の自動車、トラバンドがあふれていた。そしてマルクスエンゲルスの名のついた通りや彼らの彫像が目に付いた。
89年に崩れた壁は既に一部は取り外され、東にはあのトラバンド。その時撮った写真がこれ。

その4ヵ月後にドイツは統一。その後、東欧各国も民主化。ベルリンはドイツの首都に。東ドイツ出身のドイツの首相も誕生。
変貌ぶりは大きい。しかし壁を越えようとして命を落とした人々を忘れる事はできない。どれだけ東に自由がなかったか。自由に行きたい地域に行ける今の人とは東の状況は大きく異なっていた。
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