湖が水田の村に変貌した八郎潟
小学校の社会科で、日本で2番目に大きな湖と言えば八郎潟だった。それが1960年代に干拓が進み、かつての湖の大半が陸地に変貌した。航空写真の干拓前と後がこれ。

その写真を撮ったのは大潟村干拓博物館。国策として進められた干拓により漁民が転職した事や最新のポンプであっという間に湖水を干上がらせた様子を記録映画で見せてくれる。
稲作増産が当然とされ、干拓地を水田に育て、大規模農耕を展開して効率的な競争力のある農業が育成されてきた。しかし時代が変わり、米離れと値下がりによる収入減に直面。
努力と工夫が求められる中、この博物館通じたノギャルプロジェクトの説明がテレビでも紹介されていた。東京の若い女性による渋谷米、米粉の食品、パンなどの開発に取組むもの。かつて湖上だった大潟村でこの日は農業を考えた。
写真は博物館とその隣の道の駅。

ところで変貌した八郎潟には独特の名所が幾つかある。北緯40度東経140度の場所がある。また標高ゼロメートルの日本一低い山、大潟富士がある。3.776メートルの高さが標高ゼロになるとか。写真がそれ。

かつての湖の大潟村を東西に突っ走ると、砂利道もある。写真のような一面の水田もあるが、ただの荒野もある。

菜の花で美しくなる春に来るのがお勧めだそうです。


その写真を撮ったのは大潟村干拓博物館。国策として進められた干拓により漁民が転職した事や最新のポンプであっという間に湖水を干上がらせた様子を記録映画で見せてくれる。
稲作増産が当然とされ、干拓地を水田に育て、大規模農耕を展開して効率的な競争力のある農業が育成されてきた。しかし時代が変わり、米離れと値下がりによる収入減に直面。
努力と工夫が求められる中、この博物館通じたノギャルプロジェクトの説明がテレビでも紹介されていた。東京の若い女性による渋谷米、米粉の食品、パンなどの開発に取組むもの。かつて湖上だった大潟村でこの日は農業を考えた。
写真は博物館とその隣の道の駅。


ところで変貌した八郎潟には独特の名所が幾つかある。北緯40度東経140度の場所がある。また標高ゼロメートルの日本一低い山、大潟富士がある。3.776メートルの高さが標高ゼロになるとか。写真がそれ。

かつての湖の大潟村を東西に突っ走ると、砂利道もある。写真のような一面の水田もあるが、ただの荒野もある。


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