西からは四天王寺の写真登場
今年の初詣直前の四天王寺の写真が届きました。混み合う直前の静けさが大伽藍に漂っています。

四天王寺は聖徳太子が仏教の寺として建てたとされ、支配者建立の寺としては日本最古と言っていい筈。
6世紀末、仏教受入派の有力豪族の蘇我氏は、仏教排除派の物部氏との戦いで強い抵抗を受けていた時、蘇我氏側の聖徳太子が木を切って作った四天王の像に、勝利すれば仏像を納める寺を建てる、と誓ったという。
その甲斐あって物部氏を滅ぼし、その後皇太子は摂政となって隋をモデルとして日本の国家確立を進めていきますが、その誓いを守って大阪に建てたのがこの四天王寺。その後、日本に仏教が普及して現在に至るので、日本の仏教全体の総本山に相当しますね。
聖徳太子が政治を行なった時代は飛鳥時代と呼ばれるし、法隆寺建立にも関っていて、皇太子は今の奈良県ばかり縁があると思ってしまいますが、お墓も四天王寺と同じ大阪府にあるそうです。
ここは門をくぐると、伽藍は五重塔・金堂・講堂と南から北へ一直線に配置されていて、それは四天王寺式伽藍配置と呼ばれています。この伽藍に入って神聖な気持ちになりたいですね。

四天王寺は聖徳太子が仏教の寺として建てたとされ、支配者建立の寺としては日本最古と言っていい筈。
6世紀末、仏教受入派の有力豪族の蘇我氏は、仏教排除派の物部氏との戦いで強い抵抗を受けていた時、蘇我氏側の聖徳太子が木を切って作った四天王の像に、勝利すれば仏像を納める寺を建てる、と誓ったという。
その甲斐あって物部氏を滅ぼし、その後皇太子は摂政となって隋をモデルとして日本の国家確立を進めていきますが、その誓いを守って大阪に建てたのがこの四天王寺。その後、日本に仏教が普及して現在に至るので、日本の仏教全体の総本山に相当しますね。
聖徳太子が政治を行なった時代は飛鳥時代と呼ばれるし、法隆寺建立にも関っていて、皇太子は今の奈良県ばかり縁があると思ってしまいますが、お墓も四天王寺と同じ大阪府にあるそうです。
ここは門をくぐると、伽藍は五重塔・金堂・講堂と南から北へ一直線に配置されていて、それは四天王寺式伽藍配置と呼ばれています。この伽藍に入って神聖な気持ちになりたいですね。
スポンサーサイト