赤くない赤の広場、最新モスクワ第3回

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ソ連時代、共産党は赤がシンボル色なので、確かに革命記念日など垂れ幕や旗で赤に沿っていた。しかしソ連時代は70年だけ。もっと歴史のある広場が赤と呼ばれるのは、赤というロシア語が昔は美しい、の意味で、17世紀に整備された時、美しい広場と名づけられた為。
さて東西700メートル、南北130メートルの広場は、赤くない青っぽい石が敷き詰められ、ソ連時代も今も特別な日に戦車がパレードするが、20年前にドイツ人のセスナ機が強行着陸出来た広さがある。
さて今回も毎日広場に足を踏み入れて、ここでの歴史に思い巡らした。南側にソ連指導者が並んでいたこと、東側はステンカラージンが反乱を起こして処刑され、又美しい聖ワシリー教会を建てた者がイワン雷帝に目をつぶされたこと、そして北側のグム百貨店前は今や冬に屋外アイススケート場になったこと。平日朝行ったら、写真の通り人出は少なかった。テロの多かった時やイベントある時は広場は入場禁止。

やはりここに来たら行くべきはレーニン廟。レーニンの遺体が見れる所。朝10時から入場できるが、長蛇の列。入場料は無料だが荷物やカメラは持ち込めず、入口近くで有料で預ける。明るい広場から上にレーニンと書かれた入口から急に暗い室内に入るので、目が慣れないでいると、角毎に兵隊が立って手でこっち行けと合図する。程なく眠れるレーニンが見えるが立ち止まると怒られる。まだソ連っぽい。

広場は神聖な場のようだが、米国映画撮影やマッカトニーのコンサートや山本寛斎のファッションショーが行われたり、名物の広場は結構「有効」活用されている。赤くない広場は世界の人を寄せ付ける。
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